うまくいかなかった時。
予定どおりにいかなかった時。
私はいつも真っ先に、「何がダメだったかな」と考えてしまいます。
声かけ?
導入?
タイミング?
環境設定?
頭の中は、まるで仕事中の「反省会」。
家庭なのに、どこか現場みたいでした。
これは保育士の考え方が抜けていないだけだと思っていた
トラブルはできるだけ未然に防ぎたい。
ケンカにならないように。
怪我をしないように。
三兄弟全員の動きを見て、先回りして環境を整える。
私はずっと、それが「良い関わり」だと思っていました。
元保育士だったこともあって、
「これはただ、職業的な考え方のクセが抜けていないだけなんだ」と。
でも最近、
「それだけじゃないでしょ」と、
心の中で自分に問い返すことが増えていました。
子どものため、のつもりで「運営」していた
バタバタの育児をなんとか乗り切るために、
私は私なりのやり方で、家庭をうまく回そうとしていました。
トラブルを起こさないように。
もめないように。
スムーズに回るように。
でもそれは、子どものためだけじゃなくて、
自分がこれ以上しんどくならないようにするための
「防御」でもあったんだと思います。
子どもが何かを「やりたい」と言うと、
「どうせ取り合いになってケンカするでしょ」
「誰かが泣くかもしれない」
「あとで仲裁するのは私の仕事なんだよな…」
そんな考えが、真っ先に頭に浮かぶようになっていました。
そして私は、
子どもの「やりたい」を回避するルートを先に探して、
理由をつけて別の方向へ誘導することが増えていきました。
「これは、トラブルを防ぐための保育士の考え方」と
自分に言い聞かせながらも、
心のどこかで、
「何かあった時に、自分が責任を取りたくないだけでしょ」
そんな気持ちがあることにも、うすうす気づいていました。
家の空気を変えた、パパのひと声
そんなとき、家の空気を変えたのはパパでした。
ある日、料理の準備中に
「やりたい人ー!」と子どもたちに声をかけたんです。
私は心の中で思いました。
—— 誰がやるかでもめるよ。
—— 片付けは私がするのに。
—— なんでわざわざトラブルを増やすの。
正直に言うと、当時の私は
「トラブルが増えるのがめんどう」という気持ちが先に立っていました。
でもよく考えるとその奥には、うまく対応できなかった時に「自分を責めることになるのが怖い」
という気持ちもあったんだと思います。
また始まる反省会。
全部を背負い込んで、心がちょっと悲鳴をあげてしまう自分を、そっと守ろうとしていたのだと思います。
でも、子どもたちはすごくいい笑顔で集まってきました。
その様子を見て、ふと気づきました。
私は「子どもの権利を大事にしている保育士」のように動いているつもりで、
実は、自分の気持ちや心を優先して、家を“運営”していただけだったんだ、と。
親も人間なので、心を守らないと潰れてしまうこともあります。
ただ私は、本当にこのままでいいのだろうか。
これが子どものためと言えるのだろうか、としばらく考えていました。
「回避しない」を選んだ日
そのあと、子どもたちに「クッキー作りたい!」と言われた日がありました。
いつもの私なら、
時間がない、汚れる、あとが大変。
そんなことを頭の中で考えながら、うまく理由をつけて回避していたと思います。
でも、あの気づきのあと、しばらく考えていました。
このままだと、子どもたちの笑顔の機会を、
これからも何度も、私が先回りして消してしまうかもしれない。
そう思った私は、覚悟を決めて
「一緒につくろうか」と言ってみました。
粉は舞うし、
泡立て器は取り合いになるし、
着替えも必要になるし、
キッチンはなかなかの状態になって、
「やっぱりそうなるよね〜」とも思いました。
それでも、その日の疲れは、
ずっと頭の中で先回りして考え続けていた時の疲れとは違って、
不思議と清々しいものでした。
運営脳は、私を守るための仕組みでもあった
自分が“運営脳”になっていたと気づいたとき、
保育士としてここまでやってこれたのに、何がダメだったんだろう、とも考えました。
でも振り返ってみると、それは、
三人の子どもの育児、
家事、
仕事、
毎日の段取り。
全部をなんとか回そうとして、
疲れきっていた自分を守るための術でもあったんだと思います。
家庭には「自分」も守る対象に入っていた
保育士は、対象となる「子ども」のことを第一に考え、
子どもたちの権利を最優先にします。
でも、家庭という場所においては、
守るべき対象に「自分自身」も入れなければならないと、今になって気づきました。
私はそれを、ずっと後回しにしていました。
「私さえ頑張ればいい」という思考は、
常に頭をフル回転させながら、子どもたちを守っているつもりでいて、
結果として、
母親がいつも疲れた顔をしている窮屈な場所をつくってしまっていた気がします。
完璧じゃない関わり方でも、関係はちゃんと育つ。
今は、そう思っています。
運営脳をゼロにするのではなく、手放しすぎない
もちろん、子どもの思いを全部そのまま受け止め続けるのは、現実的ではありません。
ある程度の“運営脳”は、今でも私には必要です。
ゼロにするのではなく、
自覚したうえで、強くなりすぎないようにコントロールする。
それくらいが、ちょうどいいのかもしれません。
クロワッサン1個で平和を買う日もある
こうして偉そうに書いていますが、
今でも私は、大好きなクロワッサンを子どもに
「ママの分も食べていいよ」と譲ってしまいます。
もちろん愛ゆえですが、
心のどこかでは、
「ここで泣かれたらめんどくさいな」という運営脳が働いていることも、
今は隠さず自覚しています。
でも、以前と違うのは、
「私が我慢すれば…」ではなく、
「よし、これで今日の平和を、クロワッサン1個で買ったぞ」と、
心の中でニヤリと笑えるようになったこと。
完璧な母親にはなれなくても、
そうやって自分の本音と折り合いをつけながら、今日も私は、
子どもたちとの「お互いにとって、ちょうどいいゆるさ」を探しています。

